あの人はどんな木を見ているのか

近所がワクチンの接種会場になっていて、長蛇の列だった。

と、色々書きたいことがあるのだけれど、明日の早朝、新幹線移動なのでまた後ほど書くことにする。


↑のメモを書いたのが昨日の夜で、今は新幹線の中でこの文章を書いている。こんなに朝早いのは1、2ヶ月振りだから、起きれるかどうかかなり怖くてなかなか寝付けなかったが、何とか時間通りに起きることができた。夜型の生活が続いてしまっていたせいか、朝の気持ち良さが格別のものに感じられる。

さて、ワクチン接種が良いペースで進んでいる、というニュースを目にしてはいたが、親もまだ高齢者に属していなかったりで、身近にそれを感じることは少なかった。なので本当の意味で当事者意識を持てるのはまだ先のことだろうと思っていたが、昨日はその考えを少し改めなくてはと感じた日だった。

というのも、近所がワクチンの集団接種会場になっており、色々と思うことがあったからだ。長い行列ができており、何事かと思って列を辿ると、ビルの前に大きく『〜会場』と書いてあった。確かに並んでいるのはお年寄りばかりだった気がする。

小一時間ほど、近くのファミレスで人と会う予定があり、外をぶらついていた時のことだった。で、いざファミレスに入ると、普段よりも人が多い気がした。「接種帰りとか、その時間待ちの人たちが多いんじゃないかなぁ。」と、同行者は言う。

耳をすましてみる。と、すます前に勝手に耳に入ってくる。

「コロナの対応でさ〜」と医療関係者らしき男性二人が近くに。「ワクチン打っちゃったの?何でそんなことするかなー」と親に対して言う子ども(といっても成人)。ファミレスがいつもとは違う場所に感じられた。

ワクチンを信じない子供と、ワクチンを打った親の会話は聞いていて興味深かったけれど、何だかいたたまれなかった。陰謀論やワクチン反対派の話は、ネットでは目にしても、直接の声として聞くことは少ない。だからこうして目前で展開されると、面食らう。

きっと接点が無いだけで、そういう、自分とは違う考えを持つ人たちは近くにもたくさんいるんだろうと思う。

フィルターバブルのせいか、ネットには自分と同じ考えや思想の情報が溢れている気がしてくるが、それはきっと現実では無い。現実のある側面を切り取っているに過ぎない。

「木ではなく森を見ろ」と言われて育ってきたが、そこに住む人たちがどんな木のことを考えているのか、見ているのか、植えているのかを考える必要がある。