役に立たないことを続ける
「役に立つ」ものこそ需要があり売れる、価値がある、というのが資本主義の原則だが、そもそも市場における「役に立つ」は今現在の尺度であり、将来どんなものが「役に立つ」かは誰も予想できない。だからこそ、すぐには役に立たない、理解できない、よくわからないものの可能性も排除すべきではない。
こういった言説を、最近色々な書籍や文章、特にビジネス書などにおいてよく目にする。
しかし、役に立たないことに向かい続けるのが難しいのは、何も会社に限ったことではない。個人においても、自分の興味にただひたすらに従って、一般的には役に立つか分からないことを続けること。それは並大抵のことではない。
信念と興味と情熱と、あとは仲間がいないととてもじゃないが挫折してしまう。
会社の役に立たないことをやらせてくれ、と不満を漏らす前に、それだけの覚悟を自分が持てているのか、をまずは自分に問いたい。独りよがりにならないこと。
多くの場合、役に立たずとも、いつかどこかの誰かのためになると思ってやっていることがほとんどだと思う。その顔をどれだけ思い浮かべることができるか。
そんなことを考えずに、心の赴くままに動くことはそれ以上の価値があると感じつつ。