水調査
退職前、休暇中、そして新たな組織に所属し始めた今、やるべきと思っていることが全く異なっているのがわかる。
組織から離れていた休暇中、ここ数年で偏ったかもしれない頭の中身を一度リセットしたくて、過ごす場所を変えたり、新しい習慣を整えたり、何もしない時間を確保していたりした。そうするうち、懐かしい感覚、大学の頃のモラトリアムのような感覚に陥った。どこにも軸足を置いていない浮ついた感覚。
そんな感覚の中、緊急事態宣言で思うように動けなかったこともあり、ひとり不安が膨れていった。一方で考える時間が増えた分、どこか頭の片隅にあった業界や肩書や人間関係の影響の大きさに気づくこともできた。それが一つ一つ、フラットになっていくのが痛快だった。
それが早々に飲み込まれようとしている部分があるのを感じている。
飲み込まれる、というと悪いように聞こえるがそういうことに限らない。どこからが本来の自分の考えで、どこからが影響によるものなのか、を区別したい気持ちが働いてしまっているだけだ。
本来の自分、なんてものは存在しないと思うけれども、例えばフラットな水面があるとして、そこにバサーっと水が注がれた時に起こるしぶきだったり波の高さについて考えないと居心地が悪い。もっと言えば、その水の色もめちゃくちゃ気になる。
思いも寄らない色の水だったり、量のものが注がれたときに、それを受け入れるべきなのか。それとも排水口にジャバーっと流してしまうのか。
混ざり切ってしまったら一部を流すことは難しくなると、なんとなくどこかで分かっているから、その影響について考えてしまう。
うかうかしていると、水位が上がってキャパオーバーだ。
毎日何かしら書いていくことは、その確認の方法の一つ、水質や水位の調査をしているようなものだと思ってやっている(少し鬱々としすぎてるけど)。